24/10/2014
さあ、美術展に行こう!だけどどの美術展に行こう?
そんな時、どうやって美術展を選ぶだろうか。多くの場合、好きな画家、興味のある美術館の絵画があるから、その美術展に行くだろう。美術展の広告、つまりタイトルやキャッチコピーに惹かれて興味を持つこともあるかもしれない。
美術というのはそもそも言葉で語るのが難しいものだ。人によって絵画の解釈が異なることがあるし、その魅力を誰かと言葉で共有するのは簡単ではない。では僕たちは、タイトルやキャッチコピーのどんな言葉に惹きつけられて、美術展に行くのだろう?
今回の記事では、最近開催された、あるいはこれから開催される美術展のタイトルやキャッチコピーを見比べてみたい。どれに一番惹かれるか。独断と偏見で「良いタイトル×コピー」を探し出そう。
ちなみに、タイトルは「こんな美術展です」ということを外部に示して興味を持ってもらうものであり、キャッチコピーは美術展に誘い出すことを目的にしたものだ、ということを前提に話を進めたい。
今回、最近の美術展からこれから開かれる美術展までのチラシを9点あつめた(というか手元にあった)。ちなみに一つの美術展に何枚もチラシが刷られることがあり、チラシによって若干キャッチコピーの文言が違う場合があることをご了承いただきたい。
展示終了時期が早い順に以下の通りだ。(括弧内は展示終了日)
さっそく見ていこう。
ここでは邦題を取り扱う(「○○記念」という表記はカットした)。類別して見てみよう。
「ヴァロットン展 冷たい炎の画家」
「デュフィ展 絵筆が奏でる 色彩のメロディー」
タイプAの内容は、見ての通りかなり感覚的・比喩的で抽象度が高い。
「ゴッホの原点 オランダ・ハーグ派展 近代自然主義絵画の成立」
「チューリヒ美術館展 印象派からシュルレアリスムまで」
タイプBは、具体的なワードが並ぶ。とくに「美術館」展の場合、その美術館のどの一面を切り取るかが副題と関わることになるだろうから、こうして具体的になるのかもしれない。
「オルセー美術館展 印象派の誕生―描くことの自由―」
「ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」
「印象派のふるさと ノルマンディー展~近代風景画のはじまり~」
「夢見るフランス絵画 印象派からエコール・ド・パリへ」
タイプCはタイプA・Bの中間を行くようなタイトルだ。「印象派」「風俗画」「ヨーロッパ絵画」「フランス絵画」といった具体的なワードを用いながら、「ふるさと」「自由」「日常を描く」「夢見る」といった割と抽象的・感覚的な言葉も用いている。
「フェルナンド・ホドラー展」
タイプDは副題が無い。副題が、無い…。ちなみに英題だと “TOWARDS RHYTHMIC IMAGES”。英題ではタイプAに分類して良さそうだ。
実際に並べて見ると、どのタイトルの美術展に一番行きたくなるだろうか。
タイプAの副題は好みが分かれそうで、上手くいけば受け手を「おやっ」と思わせることができるかもしれない。しかし「冷たい炎の画家」「色彩のメロディー」はやや言葉で遊びすぎていて、意味が通じない。そもそも比喩は少なからず主観的な解釈が反映されるものだ。あまり比喩的・抽象的な内容にすると、人によってはタイトルと美術展内容の解釈が一致しないのではないだろうか。
その点、タイプBは具体的な内容の副題だ。ただ、逆にこの内容に元から興味が無ければ、あまり惹かれないかもしれない。どんな美術展なのかを示すためにも具体的情報はある程度必要だろう。それを前提にさらに相手の興味をそそろうとしたときに、意味ありげな抽象ワードが生きる。
美術史を知らない人からすればなおさら、具体性と抽象性を掛け合わせているタイプCのタイトルにもっとも興味を持つのではないだろうか。
ひと通りタイトルを見てみたが、もちろん、僕たちは美術展をタイトルだけでは選ばない。それを補足するキャッチコピーに誘われることのほうが多いのではないか。早速キャッチコピーを見てみよう。
キャッチコピーはそれぞれ味が出るので見比べるだけでも面白い。タイトルとバランスを取りながら、いかに受け手の興味をそそる内容か。タイトルの類別に対応させながら見てみよう。ちなみに、ここでは主にチラシ表面にあるコピーを引用する(例外あり)。
ヴァロットン展:「裏側の視点。」「オルセー美術館発。待望の世界巡廻」
デュフィ展:「20世紀フランスを代表する芸術家デュフィの本質に迫る回顧展」
デュフィ展は、タイトルが極めて抽象的だった反面、ここではかなり具体的な情報が載っている。他方のヴァロットン展は「オルセー美術館発」だけが具体的な情報で、「裏側の視点」というのはタイトルの謎をさらに深める印象だ。
ハーグ派展:なし
チューリヒ美術館展:「美の大国、スイスの審美眼に驚嘆せよ」
チューリヒ美術館展は非常に簡潔で、それゆえにインパクトがある。命令口調のキャッチコピーはしばしば見かけるが、堅苦しい言い回しなので安っぽさがない。他方のハーグ派は、チラシの表にも裏にもキャッチコピーらしき文言が見当たらず…。タイトルも具体的なワードが並んでいるだけだったが、訴えかける力の弱さでは一貫している。
オルセー美術館展:「2014年夏、世界一有名な少年、来日」。
ノルマンディー展:「『絵になる風景』をめぐる旅――イザベイ、クールベ、ブーダンからデュフィまで」
ルーヴル美術館展:「フェルメールの『天文学者』、待望の初来日。ルーヴル美術館だからこそ実現、風俗画の歴史を一望する、初の本格的展覧会。」
フランス絵画:「モネ、ルノワール、セザンヌ、シャガール…知られざるコレクション一挙公開!」「フランス近代美術のオールスター競演!」
オルセー美術館展は、「世界一有名な少年」と微妙にはぐらかすあたりが興味をそそる。それを知らない人なら、「どんな少年だろう」「誰が描いたんだろう」とただちに疑問が湧くだろう。他の三点はタイトルに具体的な情報を増やしている。タイトルが美術館の内容を良く伝えていたので、三点がここで具体的な情報を深めるというのは正解だと思うが、キャッチコピーだけ見ると他に見劣りする感じがする。
ホドラー展:「脈動する生命のリズム――スイスが誇る異才、40年ぶりの大回顧展」
ホドラー展、タイトルが寂しくてどうなるかと思ったけれど、ここでは抽象性も具体性も書かれていて、味のないタイトルをシンプルなキャッチコピーが上手く彩っている。
さて、以上のタイトル×キャッチコピーを読んで、どれに一番「行きたい!」と思っただろうか。
僕はチューリヒ美術館展とオルセー美術館展だ。
チューリヒ美術館展はタイトルにこそ興味をそそる要素が少ないが、キャッチコピーにはそれを補うほどの勢いがある。オルセー美術館展はタイトルもキャッチコピーも、具体的な情報と抽象的・感覚的な雰囲気の両方を持っていながら、なにか少し足りない感じがする。たとえば「少年」という言葉がそうだ。しかし足りないからこそ、その不足分を美術展に行って補いたいと思わせる。「世界一有名な少年・マネ『笛を吹く少年』、来日」と書かれると、「そうなのか」と話はそこで終わってしまうのだ。
また両者は、キャッチコピーが短いということで共通している。ようするにキャッチコピーなど広告は、美術館の入り口なので、そこで説明しすぎて完結させないことが大切なのだろう。
チューリヒ美術館展とオルセー美術館展には、本記事から「良いタイトル×キャッチコピー」の称号を贈りたい。
美術を言葉で語るのは難しい。実際に多くのタイトルやキャッチコピーは、その美術を取り巻く時代や国、流派などについての分かりやすい言葉を使っていて、絵画自体のことをあまり直接的には語ってはいない。その点、ヴァロットン展が比喩的で謎めいた言葉を使っていたのは、かなりチャレンジングだったと言えるのかもしれない。
もちろん、どういうタイトル、キャッチコピーに惹かれるかは人によって違う。
こんなことを言うと元も子もないと思われるかもしれないが、いずれにしても、絵画を見るときに、その絵画をとりまく言葉たちにとらわれてはなるまいと思う。どういうタイトルで美術展が開かれているとしても、絵画にとってはそのタイトルは後から付けられたもの。美術展のタイトルやキャッチコピーは、時間・空間を越えて僕たちが絵画と出会うきっかけにすぎないのだ。きっと美術展をつくる方々も、絵画と人が出会うきっかけをつくるためにとタイトルやキャッチコピーを考えるのではないか。
絵画と人をどう引き合わせるか。タイトルやキャッチコピーは、それを言葉でやろうとする人たちの模索や苦悩が現れているものでもある。
(ライター:マチドリ)
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