arutaddo

「アルタッドに捧ぐ」に捧ぐ ー書くことをめぐる問いについて

15/12/2014

 

久しぶりに真摯な小説を読んだな、と思った。

 

 

第51回文藝賞を受賞した、金子薫著『アルタッドに捧ぐ』は、小説を書くことをめぐる問いの物語だ。

 

 

小説家志望の浪人生・本間は、ある日執筆途中の小説の主人公である青年モイパラシアが、

自分の意図しないところで突然死ぬのを目の当たりにする。

彼は原稿用紙の上に投げ出されたモイパラシアの左腕を原稿用紙に包み埋葬するが、

土をかける直前、包みのなかにモイパラシアが飼っていたトカゲ「アルタッド」がいることを発見する。

こうして、アルタッドと本間の奇妙な共同生活が始まった。

本間は物語のなかに生きるモイパラシアを殺したのは自分なのではないかと悩みながらも、

アルタッドの世話をしながら新たな小説を書こうと奮闘する。

 

 

同作の評価は、夢と現がまじりあったようなメタフィクション的構成、

あるいは数多くのフランス文学の影響に裏打ちされた美しく詩的な文章に求められるのかもしれない。

それに比べれば、「書きたいけど書けない」ことに悩む本間の物語は、プロットとしてはシンプルで、

著者本人が言うようにクラシックですらある。

 

 

しかし僕は、同じ時代に生きる、同世代の人間として、

書くことをめぐる問いに正面から向き合う本間の姿に胸を打たれた。

僭越ながら、こうして趣味的に文章を書いている者として、

「わかるなぁ」と心のなかで呟いたこともあった。

 

 

本間は、満足のいく文章を書くということに対してあまりにも誠実である。

だから、大いなる恍惚や陶酔のもとで「文学らしい」文章を書くため、幻覚成分を口にしようとする。

嘘偽りのない文章を書くことの不可能性に恐れ、死を夢想することもある。

本間にとって文章を書くとは、死と分かちがたく結びつくまでになっていた。

だからこそ、書けない。

 

 

なぜ自分は書くのか。

 

 

そんな根源的な問いに向き合い続けているうちに、本間は

「問いと対峙することでしか書くという行為は成り立たないのではないか」

ということを考え始める。

 

 

こんなにも真摯な本間という人間が、自らに課す問いと対峙し続けるとはどういうことか。

それは、出口の見えないイバラの道を自ら選択したようなものだろう。

 

 

でも、この物語の結末は、なんだかすっと胸が軽くなるようなものだ。

 

本間は、アルタッドの絵を無心で描いているうちに、

彼がまさに求めていた「歓喜の瞬間」を紙につなぎとめることに成功する。

 

そのあと、本間はこう思うのだ。

 

 

描き終えた後は、新たに問いを背負い直し、再び死の方へと歩き始めなければならない。しかし、生きていればこういうこともある、ということを確かめられただけでも彼には十分であった

 

 

この小説は、「なぜ生きるのか」などとずいぶん大きな命題を語るくせに、

青臭い文学論や芸術論をぶるくせに、妙な優しさと生活感がある。

 

コーンが好きで、リラックスしているときは後ろ足をピンと伸ばすアルタッド。

自分のことはてんで疎かなくせに、コーンについている食塩が身体に悪いからと、

入念に手もみ洗いしてからアルタッドに与えてやる本間。

アルタッドを育てることで、実は救われていることに気づくこともあった。

 

本間とアルタッドとの、何気ない日常の鮮やかな描写が、

「生きていればこういうこともある」という結末とともにふっと蘇ってくる。

 

 

あぁ、好きだなと思った。

 

 

 

最後に、僕がどうしようもなく気に入った一節を紹介しよう。

 

ところで、眠りに関して言えば、爬虫類の眠りは旅を伴わない眠りであると言える。アルタッドの眠りは、熟睡と覚醒の両端しか持たない眠りであり、それは、茫漠とした中間領域の存在しない眠り、夢を持たない眠り、人間が置き去りにしてきた太古の眠りであった。(中略)

眠りから目覚め、再び一つの人格として意識の表面へと浮かび上がっていくときに抱く、生誕をやり直しているかのような感覚――夜の領域で脱ぎ捨てた人格を再び拾い集め、習慣の衣服を着込むようにしながら上昇していく瞬間に抱く、あの再生の感覚を、アルタッドは知らなかった。

 

 

なんという美しい目覚めの表現だろう。

そして、「アルタッドは知らなかった」という着想のあたたかさ。

 

朝日新聞の記事によれば、著者は実際にトカゲを飼っていたという。

自分が飼育するなかでトカゲを調べているうちに、ふと思ったのだろう。こいつはあの感覚を知らないのだと。

 

 

僕はそんな美しく優しい感性を持つ人間が書いた小説を、これからも読み続けたいと強く願う。

 

 

そしてなにより僕自身を改めて「書く」ということに向きあわせてくれた本作品に、感謝したい。

 

 

リファレンス

 

Amazon.co.jp―金子薫 『アルタッドに捧ぐ』

 

(ライター:カガワ)

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