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軍歌から日本の戦前・戦中の空気を読み取る――辻田真佐憲『日本の軍歌』

13/11/2014

 

 今年7月に幻冬舎から発売された『日本の軍歌――国民的音楽の歴史』(辻田真佐憲著)は、そのタイトルが示す通り、日本の軍歌の歴史を扱ったものである。著者・辻田真佐憲氏は、軍歌をあくまで政治性や思想性とは切断して「趣味の対象」として収集している研究者だ。

 

 著者が本書の冒頭で述べているように、軍歌というと「戦時中に軍部が民衆に押し付けた退屈な音楽」あるいは「街宣車から鳴り響く物々しい音楽」をイメージする人が多いかもしれない。しかし、当時人々に受け入れられていた軍歌はわれわれのイメージするそれとは違う。

 

「しかし、戦前の日本では軍歌は単なる『軍隊の歌』でも『右翼の歌』でもなかった。むしろ軍歌は今でいえば、ポップスであり、演歌であり、洋楽であり、映画主題歌であり、アイドルソングであり、人々の生活と密接に結びついた娯楽であった」(p. 3)

 

 ナショナリズムが勃興する戦前・戦中に、人々はエンターテインメントとして軍歌を消費していた。この著者の主張はユニークだ。その一方で、軍歌は権力側が効率的に国民にメッセージを送ることの出来るメディアでもあったことは歴史的事実だ。これは素直に恐ろしい。

 

 政治とエンターテインメントの結びつきに迫っていくためには、軍歌の歴史を振り返ることが肝要ということだろう。今回はそんな軍歌について、本書で紹介されている代表的なものを少しだけご紹介しよう。

 

 

日本最初の軍歌、その名も「軍歌」(1886年)

 

 

 本書で最初に登場する軍歌は、日本で初めて登場した軍歌でもある。曲名はそのものズバリ「軍歌」だ。1886(明治19)年に発表された当時、軍歌というジャンルが日本ではまだ広く知られておらず、だからこそ「軍歌」というストレートな曲名をつけることができたというのが本書での著者の見立てだ。

 

 作詞者は当時東京大学文学部長の外山正一。作曲者は当時文部省音楽取調掛長で、のちの東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)校長の伊沢修二。明治初期の日本の軍歌は、まさにこのような時代のエリートによって生み出されていた「知の最先端」であったという。外山も伊沢も米国留学からの帰国後間もない期間に制作しており、当時の軍歌は、エリートたちが西洋から輸入した文物の一つに過ぎなかったと著者は言う。

 

 この「軍歌」を皮切りにして、以後日本国内で膨大な数の軍歌が生み出されることになる。明治時代に作られたものだけでもおよそ3000曲(!)もの軍歌があると本書では述べられているが、そのうちにこの「軍歌」という曲名も、やはり名前が紛らわしいということで「皇国の守」または「来れや来れ」と改題された。

 

 

一世を風靡したキャラクター軍歌「爆弾(肉弾)三勇士の歌」(1932年)

 

 

 「キャラクター軍歌」というジャンルが本書では登場する。戦争で武勲をあげた英雄個人を取り上げた軍歌だ。より今風に言えば「キャラソン」である。このキャラクター軍歌は、兵卒や下級士官などの一般人でも一躍英雄になれるという希望を国民に抱かせるものとして機能していた。当然、国民にはかなり人気のあるジャンルだったという。実際のエピソードとは違ってかなり誇張して描かれたものや、架空の人物のキャラクター軍歌などもあったそうだ。国民が自身の欲望を具体的なキャラクターに投影しやすかったからこそ、そのようなよりエスカレートしたキャラクター軍歌も作られていったのだろう。

 

 キャラクター軍歌の中でも当時一世を風靡した曲が、1932年に作られた「爆弾(肉弾)三勇士の歌」だという。1932年1月、満州事変の戦火が上海にまで拡大し、日中両軍が衝突する上海事変が勃発した。この戦いで日本軍は中国軍に対し苦戦を強いられていたが、2月22日、突撃路を築くため、三人の工兵が爆弾の筒を抱えて鉄条網に突入し、鉄条網を爆破。三人は爆発で戦死したが、以後「爆弾(肉弾)三勇士」として、メディアによって英雄に祭り上げられたのだ。

 

 「爆弾三勇士」をテーマにしたレコードは20種類を下らないという。新聞各社は彼らを称える軍歌を懸賞募集し、さまざまなバージョンの軍歌が作られた。また、映画、落語、歌舞伎、玩具なども作られ、「三勇士」はまさに当時を代表するキャラクターとしてさまざまな分野で消費されたそうだ。このエピソードなどは、軍歌がまさに「エンタメ」であったことの証左ではないか。

 

 

ニュース軍歌の代表作「英国東洋艦隊潰滅」(1941年)

 

 

 日清戦争では、戦況が新聞で逐一報道されていたため、報道を基にして作られる軍歌が多くなっていった。それまでとは一変して歌詞が具体的になったのだ。ここで言う軍歌の具体化とは、すなわちニュース化である。以後、戦況が報道されれば、それに基づいた軍歌が作られるというのが軍歌制作の典型となり、「速報性の高い軍歌」が数多く誕生した。著者はこうした軍歌を「ニュース軍歌」と呼称している。

 

 そんなニュース軍歌は太平洋戦争においても無数に作られた。当時は速報性の面ではラジオが最も優れており、日本放送協会(NHK)は開戦から「ニュース歌謡」という枠を設けて連日ニュース軍歌を放送したのだ。中でも当時、傑作との呼び声が高かったのが「英国東洋艦隊潰滅」だ。これは1941年12月10日に、日本軍がマレー半島沖で英国東洋艦隊の主力艦二隻を撃沈したニュースを軍歌にしたもの。勝利の喜びをいち早く国民に伝えるため、なんと製作時間約三時間で放送にこぎつけたというから驚きだ。

 

 

おわりに

 

 1945年の敗戦を機に、軍歌は完全に消滅したわけではないものの、その歴史には終止符が打たれた。本書の終章にあたる第六章「戦後の軍歌、未来の軍歌」では、戦後70年近くの月日が経った現在でも、軍歌が人々の生活と密である国々が紹介されている。その一つが北朝鮮だ。著者が「生きている軍歌」を求めて訪朝した際の軍歌体験は生々しい。かつての日本のような状況がまだあったのかという感覚を抱かざるを得ない。

 

 現代の日本国内においても、新宗教と軍歌、自衛隊と軍歌の関係について本書では語られている。現代において「政治と音楽」「政治とエンタメ」の関係について論じるとき、かつて「日本史上最大の政治的エンタメ」であった軍歌からその本質を紐解いていく作業は有意義だろう。軍歌の世界に少しでも興味を持たれた方は、ぜひ本書を手にとってみてほしい。

 

 

(ライター・倉住亮多

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