25/12/2014
『寄生獣』『ヒストリエ』などの作品で知られる漫画家・岩明均をまるまる一冊特集した
『ユリイカ 2015年1月臨時増刊号 総特集・岩明均』が、12月12日に発売された。
岩明氏本人の書簡インタビューを始め、マンガ研究者以外にも、歴史学者、哲学者、生物学者など、様々な専門分野からアプローチした論考が多数掲載されており、岩明作品全体を多様な視点で改めて語り直した充実の内容となっている。
また、福本伸行、須賀原洋行、吉田戦車、ヤマザキマリといった漫画家らによるイラストやエッセイ、恩田陸、海猫沢めろんなど作家陣からの寄稿も豊富だ。
公開中の実写版『寄生獣』監督の山崎貴、主人公・泉新一を演じた染谷将太のインタビューも掲載されている。
各人の論考やエッセイに関しては本書を手にとっていただくとして、今回は本特集の目玉である岩明均氏本人による書簡インタビューでの発言を通じ、岩明氏の目指す表現や「作品への向き合い方」に迫ってみたい。
本特集の目玉として巻頭に掲載されている書簡インタビュー。
本文5ページの短いインタビューだが、これはとても貴重である。
『七夕の国・完全版』下巻の巻末に付された作者インタビューでの、質問に対する「覚えていない」「忘れた」「関係ない」を連発する珍インタビューを危惧(期待?)する読者もいたかも知れないが、自身を語ることへの謙遜や恥じらいを見せながらも、漫画に対する誠実さが顕著にうかがえる内容で、たいへん読み応えのあるインタビューとなっている。
そのなかでも「何が描けていると、うまく描けたことになるか」という問いに対しての回答が印象的だ。
「『大まかな全体』。細かな部分部分よりも。物語作品である場合、いかに複雑でややこしくなろうとも、作品全体がたった一匹の生き物に見えるようであるならば、うまく描けてる感じなのではと思います」(p. 13)
「作品全体がたった一匹の生き物に見える」。
この表現には、作品全体に一本のスジを通す、という意味合いに加え、かつ作品が生き生きと輝きを放っていなくてはならないというニュアンスを感じさせる。
岩明氏のこの感覚はいったいどこから来ているのだろうか。
舞台は30年前、『同棲時代』『修羅雪姫』などで知られる故・上村一夫のアシスタント時代にさかのぼる。
岩明氏の初期短篇集『骨の音』の巻末には、本名・岩城均名義の特別描きおろし漫画「アシスタントで覚えた事」が収録されており、漫画家・上村一夫のアシスタントを務めていた当時の体験談が描かれている。
アシスタントの業務としては、漫画家が人物を描き、アシスタントが背景等を描き加えていくのが一般的だ。
そのため、アシスタントが漫画家の絵柄に合わせず、自分本位の絵柄で背景を描き加えれば、当然のように作品の雰囲気が崩れてしまうことになる。
しかし上村は「岩城くんのいちばんいい絵を描いて下さい」と、自身の絵のタッチに無理に合わせさせず、アシスタントの自主性に委ねていたという。
こうして出来上がった原稿を見て岩明氏は驚嘆する。
どんなにバラバラなタッチの背景が並んでいたとしても、上村の描く人物の「強烈な個性と存在感」が背景を圧倒し、作品全体を支配していたのだ。
「うーーむ……これが絵の強さというものか/そしてマンガとは一コマ一コマというより全ページで一つの生き物なのだ!」(岩明均『新装版・骨の音』 p. 221)
「全ページで一つの生き物なのだ!」。
この言葉はインタビューでの発言と見事に符合する。
このエッセイ漫画は『骨の音』が刊行された1990年に描かれたもので、アシスタントを務めていたのはここからさらに6年前の1984年、いまからちょうど30年前の出来事である。
今回のインタビューでは主にストーリー面での話をしているようだが、ストーリー構成であれ、絵であれ、漫画作りにおいて作品全体で一つの生き物のように見える感覚を大事にしているのは、このアシスタント時代の経験から30年間変わらずに続いていることなのだろう。
有名な話だが、岩明氏はアシスタントをつけていない。
今回のインタビューでも改めて本人の口から語られている。
作画を人に手伝ってもらったのはこの30年間で7日間ほどだという。
そのため、岩明作品では背景が少なく、大胆な余白を使った画面構成は、初期の作品から現在に至るまで大きな特徴の一つとして見受けられる。
アシスタントを雇わない理由として、本人は「(自分には)社会性が欠落している」と語ってはいるが、良い漫画は「部分」ではなく「全体」がいかにしっかりしているかということを思い知ったアシスタント時代の経験からくるものではないだろうか。
本特集でのインタビューは、個人的にはそのように邪推せずにはいられないものであった。
この他、本特集では多くの論者による岩明作品の論考が掲載されている。
岩明作品の楽しみ方がより一層広がることだろう。
なかでも『寄生獣』作品内で、主人公の新一&ミギーペアが、パラサイト島田を倒すべく「石を投げる」アクションから着想を得たという石岡良治氏の「切片と投擲―『寄生獣』のシンボリズム」と、現在放映中のアニメ版『寄生獣―セイの格率』に触れながら岩明作品を論じた泉信行氏の「その画はどこから生まれているのか―メディアの本質のための岩明均論」が面白い。
泉氏は自身のブログに論考の要約を掲載しているので、こちらも併せて読むと理解が深まるだろう。
また、個人的には山本さほ氏によるマンガ「ミギーちゃん遊園地へ行く」がすばらしい。
ミギーを新たな解釈で描いた2ページの傑作だ。
岩明均。寡作でありながらここまで語られる漫画家は数少ない。
だが、作品は少ないものの、作品そのものが「一匹の生き物」として躍動しているからこそ、
その作品はいつまでも語られ続けるのだろう。
インタビューの最後に岩明氏は、読者に向けてこんな言葉で締めくくっている。
「自分の事ばかりいろいろ書いといて言うのもなんですが、『作者名』より『作品名』が残るよう、がんばってまいります」(p. 13)
あくまで作品に魂を込める「裏方」に徹しようとする氏の矜持が、そこには感じられた。
(ライター・倉住亮多)
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