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【新刊ブックレビュー】坂口恭平『現実脱出論』&尹雄大『体の知性を取り戻す』

02/10/2014

 

9月18日に講談社現代新書より二冊の書籍が刊行された。

坂口恭平による『現実脱出論』と尹雄大(ユン・ウンデ)による『体の知性を取り戻す』だ。

坂口氏は本書で、われわれ個々人の頭の中で硬直した「現実」を意識的に変質させる術を、

自らの経験から語っている。

一方の尹氏は、頭の理解に基づく「現実」を一度見つめなおし、体にとっての「現実」の重要性を提唱する。

同日に刊行された二冊を読むと、それぞれが切り込むアプローチは違えども、

たしかに両者は共鳴し合っているように感じられる。

 

 

坂口恭平『現実脱出論』(講談社現代新書)

 

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「同じ居酒屋でも、時間帯が早くて客がいないときはいつもより狭く感じる」

「子どもの頃に遊んだ公園に改めて訪れると、随分と小さくなったように感じる」

「日曜日の朝は、平日より時間がゆっくりと流れている」

 

こういった感覚についてどう思うだろうか。

全面的に納得できるものもあれば、まったく真逆だと感じるものもあるかもしれない。

いずれにせよ、常に均一であるはずの空間や時間が変化しているように感じられることは、

誰しも経験があるだろう。

 

劇場では、一階席の自分と二階席の他者が見ている風景はまったく違う。

さらに言えば、劇場内にいる観客からはそれぞれ見え方が異なり、誰一人として同じものは見ていない。

そのことに気づいたとき、少年時代の坂口氏は妙な興奮を覚えたという。

 

ここで重要なのは、現実には無数の他者の視点が存在しているということだ。

当たり前といえばそれまでだが、

「自分が感じている現実」と「他者の感じている現実」がまったく違うものであるという実感を得ること。

その実感によって、現実はより多層性を帯びて感じられる。

「現実脱出」への第一歩が開かれた瞬間だ。

 

本書で語られる「現実脱出」とは決して現実逃避を意味するものではない。

それはむしろ、これまで目を背けてきた現実を直視することですらある。

坂口氏はそれを「現実の中に潜んでいるもう一つ別の空間の可能性を見つけ出す行為」と語る。

一階席と二階席の景色がまるで違うように、「現実」は無数に存在する。

その存在に気づくことで、「現実」はまた違った形でわれわれを包み込むのだ。

 

また、特質すべきは、本書を読むという行為それ自体によって、

著者・坂口恭平の思考を追体験させられるという点だ。

自分が見ている現実とは異なる「坂口恭平の世界」が読者の脳内に忍び込むことによって、

われわれはまさに、半強制的に「現実脱出」を強いられる。この体験はおもしろい。

 

本書は論理展開も理路整然としたものではなく、話もあっちこっちへ飛んでいく。

不思議なことに、本書ではその様が妙な快感を与え、そこに生じる違和感はむしろ読者の脳髄を刺激していく。

その読書体験は、例えるなら、少年時代、分かれ道の行き先を木の棒で決めるときのような、

冒険心と好奇心に満ちあふれている時代のあの感覚にも似ている。

 

 

尹雄大『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)

 

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本書の著者である尹雄大は、小学校に入学して間もない頃、

体育の授業などで教師がよく口にした「小さく前へならえ」という言葉に違和感を覚えていたという。

 

当時はその違和感の意味するところをはっきりとはわかっていなかったが、

大人になってから改めて「小さく前へならえ」の姿勢をとると、肩は上がり、胸は突き出し、

また手足は緊張を強いられる状態であることに気づく。

それはまるで、自分が自分ではいられなくなるような状況であった。

 

そこにあるのは徹底した「受け身」の姿勢だ。

規則正しい整列をさせるだけなら、わざわざ「小さく前へならえ」をする必要はない。

そこには体を緊張させることで、命令に注目させやすいようにする教師側の意図が感じられると尹氏は言う。

 

尹氏は別に「小さく前へならえ」を強制する日本の教育システムに反旗を翻そうとしているわけではない。

ここで語られるのは、「小さく前へならえ」を始めとした、

子どもの頃に教えられる「正しさ」が「緊張」という形で体に負担を与えてしまっていることに対しての警鐘だ。

そしてこれらの「緊張」は往々にして、「運動の禁止に向けた緊張」である。

 

例えば、「授業は正しい姿勢で聞きなさい」と言われることがある。

一昔前だと、教師が長い定規を持ちだして生徒一人ひとりの背中に当てていく、

というような光景もあっただろう。

普通に考えれば、そのような姿勢を長時間維持しながら勉強が可能だとは思えない。

また、そういった不自然な姿勢をとっているわけだから、

「姿勢を崩してはいけない」「正しくあらねばならない」という不安が介入してしまい、

集中力が低下することも免れ得ない。

こういったものもまさしく「運動の禁止に向けた緊張」だ。

人間である以上、静止し続けることはできないのだ。

 

以上のような学校教育での例は、

いずれも頭での思考のみを是とし、身体の感覚は無視されていると尹氏は指摘する。

頭(=脳)も身体の一部である以上、頭と身体を切り離して語ることはできない。

 

本書ではその後、自身が経験してきた格闘技にまつわるエピソード、

果ては尹氏が推奨する「韓氏意拳」という武術の哲学にまで話が及ぶ。

体で思考することのおもしろさ、奥深さを本書で存分に味わうことができるだろう。

 

 

◎おわりに

 

冒頭でも述べたように、今回ご紹介した二冊には共通点も多い。

坂口氏は、自分の頭の中にだけある「現実」から脱出し、

無限に広がる世界の存在を多くの体験から語っている。

尹氏は、頭の理解のみの「現実」を疑い、体に忠実に生きることの大切さを説く。

この二冊はわれわれがこの厄介な現実と向き合う術をより立体的に浮かび上がらせてくれる。

 

そして奇しくも、そんな二人のトークイベントが10月9日(木)に開かれる予定だ。

彼らの生の姿を目撃することは、他ならぬ「現実脱出」そのものとなろう。

【詳細】http://www.libro.jp/blog/ikebukuro/event/109.php

 

 

(ライター・倉住亮多

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