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データ×ストーリーのオトシドコロ

29/01/2015

湯浅です。データに翻弄されないようにして、生きていきたいです。

 

僕は10月より株式会社XICAにてライターとしてお世話になっています。

データ活用、統計分析に関するオンラインメディア「XICA-Labs」 で「データ×ストーリー」つまりデータを主題にして、文章を書くということを行っています。

 

これまで書いた記事はこちら!

 

プロ野球選手の年俸構造とその格差

ジャーナリズムの世界でデータはどのようにして扱われるべきか

 

まだまだライターとしてあまちゃんなのですが、上記した記事にもつながるデータドリヴンジャーナリズム的な観点も踏まえて、「データ×ストーリー」のライティング活動を通じて感じた「難しさ」をまとめてみたいと思います。

 

僕個人として、データ記事のオトシドコロはいくつかあると思っています。

 

 

1. 驚くべき新事実がデータによってもたらされるオトシドコロ

 


データドリヴンジャーナリズムの実例としてお馴染みになったシアトル・タイムズのMETHADONE AND THE POLITICS OF PAIN」。ワシントン州が医療費削減のため、副作用が強い薬である「メタドン」を多用していたため、8年間の間に2000人以上の人が亡くなっていたことを伝えた。さらに、メタドン被害者は貧困地域に多く分布していることも明らかにしました。

 

この一連の調査報道は単なるデータの提示にとどまらず、ジャーナリストによる優れた分析が加えられたことによって、意義のある調査報道たり得たといえるでしょう。ただ、実際にデータのみから新事実が出てくるケースは稀です。

 

 

2. 周知の情報がデータによって示されるオトシドコロ

 

 

1のように新事実を導き出すデータは少数で、大抵のデータはこの状況にあたる。現在はデータビジュアライゼーションの技術が向上し、受信者にデータをインタラクティブな手法によって「魅せる」ことが可能となっています。

 

例としてあげるなら、こちらの「どの誕生日が一番多く共通しているのか?」がわかりやすいものではないでしょうか。非常にシンプルにどの日がもっともみんなの誕生日であるのか?を色の濃淡であらわしています。

 

ここで気をつけなければいけないことは、ビジュアライゼーションされてわかりやすくなったデータは主観性を帯びてしまい、切り捨てられたデータもあるということです。その辺りの議論は先の記事で丁寧に記述したのでご覧頂きたいです。

 

 

3. 恣意的にデータを扱い、受信者を騙そうとするオトシドコロ

 

 

2の主観性を帯びたデータをさらに恣意的に使うことで、本来は妥当性に欠けるデータにあるにもかかわらず意味があるようにして受信者を騙そうとするもの。サイテーですね。

 

しかし、データリテラシーがないとデータに騙されかねません。
また、発信者側のデータリテラシーがないため擬似相関のデータが提示されることもあるやもしれません。
さらに加えると、相対的で示すべきなのに、絶対的にしか示されていないものにも注意しなければなりません。
簡単な例だと、「A君はテストで80点をとった!」という結果は絶対的には価値があるかもしれませんが、「A君以外のみんなは90点以上の点をとっている中で」という条件下では。その80点の価値はなくなってしまいます。逆に「A君はテストが50点だった」という結果だと、一見点数が低いように見えます。しかし、「A君以外のみんなは30点にも届かなかった」という条件下であれば、相対的にA君の50点は高かったといえるでしょう。このような形でデータに翻弄されることもあるのです。

 

 

4. 分析を行っても、有意な結果が出てこなく沈没。。。なオトシドコロ(というかオチ)

 

 

必死になってデータをいろいろなところからかき集めてきて、下ごしらえとしてクレンジングを行い、やっとこさ分析まで辿り着いた!ってのに、分析結果はなにも有意なものを示さず、終わってしまう。なんていうこともあるでしょう。ここで力んでしまって有意でもないのにデータを使おうとすると、ストーリーの信頼性が損なわれてしまいます。本来であれば、きちんと仮説を棄却して、その理由を述べることができるとひとつのストーリーとして成立するのかもしれないなぁと思ったり。

 

 

 

「人はデータよりもストーリー性のあるものを重視する」なんていう結果は多くの文献に見受けられます。しかし、データビジュアライゼーションが発展してきている現在、必ずしもそうとは言えなくなっているのではないでしょうか。データビジュアライゼーションが無意識的にニュースにおいて重視されているかもしれません。

 

もちろん、エンタメ系・スポーツ系の方がPVを持っていってしまうという現状は今後も変わらないのでしょうが、その中で如何にして意義あるニュースを伝えていくのか?という意味で新たな概念(役割)として「ニュースデザイン」が重要になってくるのではないかと考えていたりするのであります。

今日はこんなところで。

 

 

※本記事は個人の意見であり、所属する社とは一切関係はございません。

 

アイキャッチ:Roger Ebert

ライター:湯浅

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