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「記者」「ジャーナリスト」って表記はもう止めにしないか

30/07/2014

どうも、湯浅です。「名は体を表す」を表すということで、拓というのは、開拓使であった祖父から由来していて、自分の道を切り開いていきなさいと母がつけたものです。「名は体を表す」ことのできるように、精進していきます。




そういえば、「記者」という名はどのような体を表しているのだろう、と考えることがあります。


辞書によれば…

記者:読んで字の如し。記す者。

新聞・雑誌や放送などで、記事の取材・執筆、また編集に携わる人。

文章を書く人。文書を起草する人。筆者。

(三省堂大辞林より)


ジャーナリスト:ジャーナル(日々)記録する者。

新聞・雑誌などの編集者・記者などの総称。

(三省堂大辞林より)

明治時代には「操觚者(そうこしゃ)」と呼ばれました。

操觚者:文筆に従事する人。文筆家・編集者・記者など。操觚家。ジャーナリスト。

(三省堂大辞林より)

となっています。


つまり、辞書で言う『記者』の意味は「記す・記録する」ことを目的とした人である、と受け取れます。驚くことはないですが。




しかし、今の時代に求められているのは、「記者」「ジャーナリスト」というより、「伝者」「メディエイター」なんじゃないの?と思った次第です。

「伝者」は自分で作った造語ではありますが、メディエイターは下記の意味があります。


メディエイター(mediator):仲裁人。調停者。

(三省堂大辞林より)


もちろん、このままの日本語の意味では少し違和感があります。しかし、「媒介する者」という含意は読み取れるかと思います。メディアが媒介するためにあるということは当たり前ですが、その送り手の方法は多種多様ですし、受け手の利用満足も多種多様になっていることは明らかでしょう。




僕が言いたいことは、「記者」や「ジャーナリスト」は主張もあるかもしれないが、本来は読者という相手がいないと成り立たないものなので、「記す・記録すること」ではなく、「伝えること・情報を媒介すること」が本質的な目的なんじゃないか、ということです。




以上のような理由から「名は体を表す」ってことで、いまさらながら、名称を変えてみてはいかがでしょうか。「『記者』(汽車)ではなく『伝者』(電車)の時代なのですから」

お後が宜しいようで。


もちろん、「名称より中身」と言われても仕方ありませんし、僕は「中身」を模索している最中なので、お言葉を返せません。




画像:http://www.ijpc.org/ より




(ライター:ユアサ)

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