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『慰安婦報道』第二段!ネット時代の読み手の立場から考える、メディアの「謝罪」

05/09/2014

 

朝日新聞が『慰安婦問題を考える』と題した特集を掲載して、はや一ヶ月。
いまだに、特集に対する反応が各種メディアで散見される。
というか日増しに激しくなっている気もする…。


そのなかでも中心的な主題のひとつとなっているのが、
朝日新聞がこの特集で「謝罪をしなかった」ことだ。


以前、僕もこの特集と他紙の報道をまとめながら
「メディアの反省の方法」を考える記事を長々と書いたが、
そこでもちょろっと「謝罪はするべきだ」と意見した。
ちなみに掲載拒否云々で話題になった昨日の池上彰氏の
朝日新聞掲載コラム『新聞ななめ読み』でも、謝罪すべきだと指摘されている。


実際、朝日新聞が謝罪をすべきか否かを語ることは、
なんだか慰安婦問題の本質から遠ざかっているようで空しくなる。
こういう議論を「不毛だ」と思う向きも少なくないと思う。


しかしながら、いまや本件は、
「それは問題の本質ではない」といって放置しておけばいずれ静まる、
というほどの問題ではなくなってしまった。
仮に不毛であったとしても、向き合わざるをえない問題だ。


僕は、この件について朝日新聞社は謝罪をした方が良いと考えている。
今回の記事では、「慰安婦報道」第二弾として、その意見をまとめておきたい。
第一弾で青臭いことを長々と書きまくって、
それが全然読まれていないのに第二段を出すとは、「身の程を知れ!」という話なんだが、
青臭いことは、自分が青臭いうちに言っておいた方が良かろうと思うので、
なにとぞ温かい目で読んでいただけると…。


ちなみに、記事の内容は、題材が朝日新聞の報道というだけであって、
僕は既存メディア一般のこととして考えたい。


さっそく本題に入りたいのだが、
せっかくなのでその前に「おわび」と「訂正」がどういう時に掲載されているのか、
見てみよう。

 

 

「おわび」と「訂正」

 

実は、「おわび」と「訂正」は必ずしもセットではない。
というか、訂正しかしていない記事の方が圧倒的に多い。朝日新聞に限らず。

 

池上彰さんは数年前に『新聞ななめ読み』コラムで、
まさにこのテーマを扱っている。

新聞の謝罪なき訂正は、いくらでも見つかります。
(中略)
これは朝日新聞に限りません。各紙とも、「訂正します」で済ましています。
ところが時々、「訂正」ではなく「おわび」が掲載されることがあります。私が気づいたのは、読売新聞と毎日新聞でした。いずれも人名を間違えたことを「おわび」していました。本人や家族から厳重な抗議が寄せられたのでしょうか。
2009年7月13日夕刊掲載「池上彰の新聞ななめ読み 『訂正』と『おわび』 『ごめんなさい』いらないの? 」より抜粋

 

もちろん、調べてみると朝日新聞にも「おわび」が掲載されることはある。
ただし、先述のように、「訂正」のみに比べればやはり少ないらしい。
朝日新聞の記事データベースでは、訂正対象の記事(おわび無し)には見出し脇に「訂正あり」、
おわびの元となる記事にも同様に「おわびあり」と明記される。
最近1年の記事を「訂正あり」で検索すると343件ヒットするが、
「おわびあり」は17件のみ(2014年9月4日 20時現在)。

 

どういう場合に「おわび」が掲載されるのか、
社内には何か規定があるのかもしれないが、
データベースで見る限りではよくわからない。

 

過去には、こんな事案で「おわび」が。
 

朝日新聞はこれまで佐村河内守さんの活動を折にふれて報じてきました。しかし、佐村河内さんの代理人が5日、佐村河内さんの作品とされていた楽曲について、十数年前から第三者によって作られていたことを明らかにしました。朝日新聞としても取材の過程で気づくことができませんでした。佐村河内さんに関して事実と異なる内容を報じてきたことを読者の皆様におわびします。
さらに事実関係の確認を続けていますが、(中略)佐村河内さんについて論評した記事を削除します。
(2014年2月6日朝刊掲載「おわび」より抜粋)

 

 

謝罪(おわび)の是非を問う

 

繰り返しになるけれど、「おわび」掲載の基準はよく分からない。
とはいえ、慰安婦報道の影響の重大さを考えると、
そこで扱われた一部証言が虚偽だったならば、
やはり謝罪が必要だと考えるのが自然だろう。
単純比較すると怒られるかもしれないけど、
佐村河内氏の報道についておわびするのであれば尚更のこと、と思う。

 

そして僕が「謝罪はした方が良い」と考えるのは、もう一つ理由がある。

 

新聞に載っている情報が広く信頼を得ていた時代はもうとっくに終わった、とはよく言われるが、
本件はそのことを前提に話した方がいい。

 

重要なのは、昨今のメディア媒体の多様化と情報の氾濫のなかで、
読み手にとって、ファクトは「○○新聞社がファクトだと見なしている事」でしかなくなっている、
ということだ。

つまり、読み手が情報に触れる時、そこに書かれているファクトの正確さよりも
「何新聞に載っているか」ということ自体が前景化している。

 

たとえば、ネットを見ればよくわかるけど、
発信元の「社」に対する読み手の一面的なイメージによって
情報がいかようにもねじ曲げられて解釈されてしまうことが、しばしばある。

要するに現状では、情報への信頼を
発信元の「社」への信頼が強く規定している、というわけだ。
改めて言うまでもないことのような感じがするけど、これが本件では重要。
ファクトの正確さだけでは、情報に対する読み手の信頼は必ずしも得られないのであって、
メディア各社は、「社」に対する読み手の信頼を得るために
従来以上に能動的な働きかけをした方が良い!というわけだ。
(もちろん、ファクトの正確さの重要性はこれまでと変わらないよ。)

 

慰安婦報道について間違いを謝罪することは、その働きかけのひとつでもある。
実際には、謝罪すること自体では事態は動かないかもしれない。
それでも、謝罪しない事の方が、読み手に誠意を欠いた姿勢という印象を残して
失点が大きいだろう。

 

「謙虚さ」や、「誠意」。
言葉にすると安っぽいし、言い古された「キレイゴト」のようだけど、
やはりそういう態度を「社」として示すこと、
その地道な積み重ねが読み手の「信頼」を醸成するはずだ。
それはネット時代においては従来以上に重要なことだ。

 

打算的だと呆れられるかもしれないけど、
だから僕は、本件で朝日新聞社は謝罪をした方がいいと思う、というわけだ。

 

 

(ライター:マチドリ)
アイキャッチイメージ出典:毎日新聞ニュースサイト

 

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