10636133_646500852140028_2957045675977956918_n

「小学4年生なりすまし」から考える、ネットでの情報発信のための教訓

28/11/2014

 

これほど燃え広がった炎上騒ぎは、久しく見られなかったのではないだろうか。

もはや説明の必要がないほど知られた話であろうが、NPO法人の代表を務める学生が「小学四年生の放送部の中村」を名乗り、先日表明された解散に対して「どうして解散するんですか?」と疑問を投げかけたサイトを制作した(2014年11月27日現在ではサイトには謝罪文のみ掲載)。

 

当初は制作者が明示されておらず、分かるのは「小学四年生の放送部の中村」を名乗っていたことだけ。某政党が関わっているのではないかなどと様々な憶測が飛び交う中で、『netgeek』が発信者を突き止め、速報した。

【速報】自称小学4年生が作った安倍政権批判サイトはTehuとNPO法人「僕らの一歩が日本を変える」が仕掛けたステマだった | netgeek

 

その後、同NPO法人の代表本人が「小学四年生の放送部の中村」になりすましていたことを明かし、同サイトに謝罪文を掲載。安倍首相のアカウントがフェイスブックで直接この代表個人を批判するにいたった。

あ

安倍首相アカウントによる投稿(11月25日時点。その後削除)

 

 一連の経緯は以下のまとめに詳しい。

#どうして解散するんですかを巡るタイムライン│ Togetterまとめ

【顛末追記】小4『どうして解散するの?サイトつくったからおしえて』民主くん『天才少年現る!』→仕込みっぽすぎて炎上 ➡結果NPO運営でした│ Togetterまとめ

 

 

さてこの件、ネットでは様々な反応が見られた。

今回は、本件をめぐる反応の温度差を読み解きながら、この一件から得られる教訓を考えてみたい。

 

 

立場を偽ったことへの様々な反応

 

ツイッターなどで多く見られたのは、「小学4年生」と”偽装”したこと等への批判だ。

#どうして解散するんですか宴の始末編│Togetterまとめ

他方、「騒ぐようなことではない」「ウソだと見抜けない方が問題」というような冷めた意見も散見された。当の学生である青木大和氏とその協力者が「天才」と言われていたことから、「大人は若者を応援すべき」などと世代論を絡めたコメントまで見られたようだ。

アクションを起こした青木大和くんはすごい│Togetterまとめ

 

こうした反応の温度差にはどのような意味があるだろうか?

 

法政大学准教授でジャーナリストの藤代裕之氏は、自身のブログでこれらの反応について言及している。

なぜ小学4年生を偽装した政治キャンペーンはダメなのか│ガ島通信

ネット上には様々な意見がありましたが、とても残念だったのは、ネット企業の方から「今回の件は些細なものに思える」との反応があったことです。ネット企業が自らの足場であるネット空間において、偽りの情報発信が「些細なこと」なのだとしたら、それはとても無責任に思えます。
ソーシャルメディア以前は、新聞やテレビは一部の人しか、多くの人に情報を発信することは出来ませんでした。大学生でも、高校生でも、自分の考えを世に問うことが出来るのです。せっかく手に入れた情報発信手段であるソーシャルメディアを自ら信頼できない「場」にしている。情報という日々接する飲み水に毒を入れる行為に等しいのです。

 

藤代氏の指摘は全くその通りだ。だが今回の件に関して言えば、これはリテラシーの無い大学生が小学生になりすました話、という単純な問題のようにも思われない。筆者自身、藤代氏の意見には同意するが、他方で「騒ぐことなのか?」と疑問を抱きたくなる気持ちもわかるのだ。

 

なぜか。それは、「小学4年生なりすまし」があくまで「ネタ」として、確信犯として演じられていることを前提にサイトを見ていたからだ。

 

 

本件に対する反応の温度差の正体

 

社会学者の北田暁大氏は著書『嗤う日本のナショナリズム』(NHKブックス 2005)のなかで、巨大ネット掲示板「2ちゃんねる」で交わされるコミュニケーションスタイルを、「ネタを媒介した嗤いのやりとり」と表現した。「嗤い(わらい)」とは嘲りや皮肉の意味を込めた笑いのことだ。北田氏の重要な指摘は、皮肉が「それを分かる人/分からない人」の境界線を引き、「分かる人」の内輪感覚を強めるということだ。つまり「嗤いのやりとり」では、皮肉の意味の共有によって内輪的なコミュニケーションが図られるのだ。そして世の中の出来事の多くはそこで嗤いの対象=ネタになりうる。

裏を返せば、何かをネタにして発信するということは、発信先が「分かる人」たちであることを前提に、「皮肉で言ってるけど分かってるよね?」というようなメタ的な意味を暗黙に込めることだといえよう。

 

北田氏は2ちゃんねる的世界を題材に議論をしているが、これは一般的にネット社会でのコミュニケーション作法のひとつだと考えられるだろう。すると、「どうして解散するんですか」に対する反応の温度差は、まさに「小4なりすまし」を「ネタ」として受け入れた者と、ネタと対置される「ベタ」(額面通り)として受け入れた者との反応の違いを示しているのではないか。

「ベタ」としてこれを受け入れた場合、「小4なりすまし」は「偽装」以外の何物でもない。そして藤代氏の言うように、ネットで意見を発信する際、偽装による情報発信は信頼を損なって当然である。

他方、「ネタ」としてこれを受け入れた場合、「小4」と名乗っていることを「はいはい、で、本当は誰なのよ」と冷めて受けとめるのではないか。一部の「騒ぐことじゃない」という反応はこうした態度を前提しているように思われる。

 

 

ツイッターの拡散性と、テーマの政治性

 

青木氏は同サイトに掲載した謝罪文で「なぜ解散するのか、理由がわからず、僕の頭の中には多くの疑問が残りました」「この問題は日本の中でどのように感じられているのか、多くの人々は何を感じているのか知りたくなりました」ということを踏まえて、「そこでウェブサイトを作り、僕が小学4年生を自演することで面白いと皆さんに受け止められこの問題は日本の中でどのように感じられているのか、多くの人々は何を感じているのか知りたくなりました」と動機を語っている。「小学4年生」はネタだから本気にされないだろうと思ったのではないだろうか。

とすると、「立場を偽った情報発信はダメ」である理由を「情報の信頼性が損なわれると情報受信のコストが膨大になるから」としている藤代氏の指摘は、不十分ではないだろうか。ネットであろうと新聞であろうと情報発信には責任と信頼が必要だというような藤代氏の指摘はその通りだ。しかしネットでの発信を他のメディアと同列に考えるだけでは、意図的に立場を偽る「ネタ」を媒介にするコミュニケーション作法もある、というネットの側面を捉えきれていないように思われる。

 

なぜネタであっても立場を偽った情報発信がダメなのか。それは、ネタは必ずしも全ての人に通じないからだ。北田氏の言及からしても、「ネタ」とは(内輪を形成するものであると同時に)内輪に向けられるものだ。しかしツイッターは2ちゃんねるほど内輪的ではなく、「ベタ」でコミュニケーションに参入している人が多くいる。このツイッターのような拡散型メディアでは、「ネタ」を媒介にしたコミュニケーション作法は通用しないのだ。誰にでも関係するような高度に政治的なテーマなら尚更、「ベタ」として参入する人が多いはずだ。そういう人たちにとっては、今回の「小学4年生」という「ネタ」は「ウソ」にすぎない。だから、それがネタのつもりであっても立場を偽った情報発信はダメなのだ。まあ、当たり前のことだと思われるかもしれないが…。

 

 

おわりに

 

ネタは、それをネタだと認めてしまうとネタではなくなる。だから、ひとたびネタとして始めてしまえば、「小学4年生」をベタとして受けいれた人(そしてネタとして受け入れながらもその正体を暴こうともくろんだ人)からのツッコミに対してもネタで応じざるをえなくなる。そうこうしているうちにネタの設定にボロが出て来て、さらに追及されて、炎上した。発信内容ではなく発信手段の問題点ばかりが前景化し、「解散」についての疑問が議論の対象ではなくなってしまった。

解散に対する疑問を、こうしてサイトを作って提起することには大いに意義がある。それだけにもったいない。本当に政治に対して疑問を表明したいなら、こうしたテーマをネタ的に拡散させてはいけない。当たり前のことかもしれないが、これは重要な教訓だ。

 

 

(ライター:マチドリ

アイキャッチ出典:削除前の安倍首相アカウントによる投稿より

 

Pocket