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「なりすまし」か「憑依」か――『ヨルタモリ』が映し出すタモリの姿

02/01/2015

 

2015年がやってきた。

あの『いいとも』終了から9ヶ月の月日が流れた。

 

「お昼の顔」としてのタモリはお茶の間から姿を消し、平日昼の12時にタモリを観ることがなくなる喪失感の表れとして「タモロス」なる言葉が2014年の流行語となった。

そして2014年10月、『いいとも』終了後半年を経て、タモリは「夜の顔」として新番組をスタートさせた。

 

『ヨルタモリ』と名付けられたその番組は、当初はトーク番組という触れ込みであったものの、蓋を開けてみれば、それはまったく異なるものであった。

 

自身も番組にレギュラー出演しているエッセイストの能町みね子は、本番組をトーク番組ではなく「タモリという密室芸人によるカルト番組」(『久保ミツロウ・能町みね子のオールナイトニッポンGOLD』2014年10月24日放送分)であると語る。

 

かつて「夜の顔」としてカルト的な人気を博していた頃の「タモリ」(そういう意味での『ヨルタモリ』か?)を再び目の当たりにできるということで、番組はさぞや大好評なのではと思ったのだが、実際は番組に対して賛否両論の意見が散見された。

 

純粋なトーク番組を期待していたのだろうか。

むしろ「タモリ=『いいとも』」のイメージが強い世代の筆者にとっては、かなり新鮮な番組だったのだが。

 

【参考記事】

迷走?「ヨルタモリ」にガッカリする理由|日本人が知らないテレビ学|東洋経済オンライン|新世代リーダーのためのビジネスサイト

伊集院光、『ヨルタモリ』でタモリがキャラ付けして出演することに疑問「タモリさんがゲストと普通に話すの観たい」|世界は数字で出来ている

 

 

なりすましのタモリ

 

タモリを語る際に外せない概念が「なりすまし」だ。

特にここ最近、自身の「なりすまし芸」について、メディアで語る場面が多く見られるようになった。

2014年4月21日にニッポン放送でOAされた『タモリの「われらラジオ世代」秘蔵版』では、ゲストの笑福亭鶴瓶とこんなやりとりがなされていた。

 

タモリ:33歳か34歳、(芸能界)入って4、5年目で『お笑いスター誕生』の審査員やってたからね(笑)

 

笑福亭鶴瓶:ワハハハハハハ!それ上手いことやったな!怒られるよ(笑)

 

タモリ:4年くらいしかやってないのに俺、審査員やってたんだから。審査する奴は全部俺より芸歴長い人がやって、俺が審査して偉そうなこと言ってたんだから。上手いこといったよ「なりすまし」。「なりすまし」の名人だよ俺はね(笑)

 

笑福亭鶴瓶:それで終いにはどんどん時間が来て、合うてしまうのよね、そこに。

 

タモリ:そんで80年代に入るともう完全に「なりすまし」が成功してるわけよ。

 

笑福亭鶴瓶:だから「BIG3」って言われてるからね。あのBIG3もおもろいのは、たけしさんが一番先輩で、ホンマはね。ほんでその次にさんまが先輩。それでタモリさん。でも年もいってるからやね、なんかうんと君臨してるような感じやね(笑)。こっち(たけし、さんま)は芸人2人や。こっち(タモリ)は芸人じゃないし文化人でもない。

 

タモリ:その辺がまた上手いんだよね(笑)。なんか芸人としての評価をしようかと思うと「いや、私は別に芸人じゃないですよ」っていうような顔をするんだよね。

 

笑福亭鶴瓶:で、文化人の顔もそんなしないねん。そういうことがね、ホントに上手いことなりすましてやってきたよなあ。

 

タモリ:だから俺のホントの芸は「なりすまし」ってやつだよな。

 

笑福亭鶴瓶:「なりすまし」。これは新しい分野やな。他に誰がいてはんの?

 

タモリ:「なりすまし」はいないね。

 

ニッポン放送『タモリの「われらラジオ世代」秘蔵版』(2014年4月21日放送)

 

「なりすまし」はタモリの十八番だ。

ライターのてれびのスキマ氏が語るように、タモリは「本質さえ変えなければ、それ以外は周りに合わせ柔軟に変えていくというスタンス」を採っている。

だからタモリは「なりすまし」によって芸能界での地位を向上させた。

『ヨルタモリ』でも、そんなタモリの「なりすまし」を十二分に楽しむことができる。

 

【参考記事】

なりすましタモリの『ヨルタモリ』 – 日刊サイゾー

タモリの生きる“コツ” – てれびのスキマ

 

 

「なりすまし」と「憑依」

 

このタモリの「なりすまし」に類似する表現として、「憑依」という言葉がある。

芸人があるキャラクターに憑依されたようになりきるのだ。

Wikipediaの「憑依芸人」の項目を見てみよう。

 

憑依芸人(ひょういげいにん)とは、喜劇やコントなどの場で、自分とは全く別のキャラクターになり切ることができるアーティスティックなコメディアンのこと。その姿がまるで霊に「憑依」されたかのように、まったくの別人の如く振る舞うことからこう呼ばれるようになった。(Wikipedia「憑依芸人」)

 

この言葉の出所はわかっていないが、松本人志だという説が濃厚だ。

2001年10月から2009年3月まで、放送作家の高須光聖と共に務めていたラジオ番組『放送室』の第4回(2001年10月25日放送分)では、「憑依」に関して以下のようなやりとりがなされている。

 

松本:でもね、その憑依芸人の人ってね、フリートークがそんなにできひんかったりするのよ、正直。で、そこから言い方悪いけど、逃げるじゃないけど、違う人物になってもうて、やる方がやりやすいから、そっちへ行ってるっていうのはあんのよ。

 

高須:それもあるな。

 

松本:で、俺の場合はなんでそっち(フリートーク)もやっとるかわからへんねん。

 

高須:ホンマやな。

 

(中略)

 

高須:俺、ひょっとするといま思ったんは、フリートークはキレキャラで喋るやんか。あれは「松本人志」っていうキャラで喋ってんねやわ。

 

松本:もしかしたらそうかもしれん。

 

高須:『ガキの使い』は。だからフリートークできてんねん。フリートークでキレキャラでこんな怖そうな感じで「ヘルス行くで」とか言うてる「松本人志」に憑依してんねやわ。たぶん。

 

松本:それは大いにあるな。

 

高須:な。だからあれはフリートークちゃうねん。「松本人志」に憑依してんねやわ。

 

『放送室』(2001年10月25日放送)

 

後半の高須の解釈はタモリの「なりすまし」にかなり近いように思える。

タモリが周囲に合わせて時に「カルト芸人」に、時に「お昼の顔」になりすましていたように、松本人志もフリートーク時にはキレキャラとしての「松本人志」になりすましていたのかもしれない。

 

だが、「なりすまし」と「憑依」が決定的に違うのは、そこに自覚的か否かという点にあるだろう。

『放送室』で松本は高須の指摘に対し、「もしかしたらそうかもしれん」と、自身が「松本人志」を演じているだろうということを自覚していない。

 

「なりすまし」は行為主体が自分自身にあるが、「憑依」はその言葉が示す通り、勝手に何かに取り憑かれた状態というニュアンスがある。

「なりすまし」は能動的なのに対し、「憑依」は受動的なのだ。

 

例えば『ごっつええ感じ』の「キャシィ塚本シリーズ」などは、まさにわかりやすい「憑依」だ。

 

 

キャシィ塚本のコントに関して、松本は象徴的な発言を残している。

 

「入りすぎてしまうんですよ。おれがキャシィ塚本の中に入ってんのか、キャシィ塚本がおれに入ってんのかようわからんようになる瞬間があって。だから帰ってこれなくなるねん、下手したら。あれが怖いねん」(NHK・プロフェッショナル仕事の流儀「松本人志スペシャル――笑いに魂を売った男」2010年10月16日放送)

 

「なりすまし」は本質を達成するための手段や策に近いものだが、「憑依」はそうではない。

やはり「なりすまし」と「憑依」は本質的に異なるものなのではないだろうか。

 

 

なりすましがもたらす本当

 

タモリは「本質」を見据え、それ以外をフレキシブルに変えてきた。

それは「憑依」ではなく、確かに「なりすまし」だった。

 

タモリは自分を「なりすまし芸」を使うただ一人の芸人だと述べる。

また、Wikipediaの憑依芸人の項目にタモリの名はない。

 

『ヨルタモリ』に否定的な意見として、「タモリのちゃんとしたトークを聞きたかった」という意見をよく耳にする。

だが、仮にそのような体裁をとったしても、またタモリは別の「タモリ」になりすますことだろう。

 

ここで、ライターのてれびのスキマ氏の記事からの引用を。

 

『ヨルタモリ』でも、終始何かに「なりすまし」ている。だから「タモリ」そのものは番組に出てこない。しかし、逆説的にその姿は、若きアナーキーさと力の抜けた老獪さを併せ持った「タモリ」そのものに「なりすまし」ているかのようだ。いや、そうではないのかもしれない。ずっと周囲からの要求通りに何かに「なりすまし」ていたタモリがようやく解き放たれ、ついに本当の意味で自由になって「タモリ」を表現しているのではないか。『ヨルタモリ』はタモリによる、タモリのための番組なのだ。なりすましタモリの『ヨルタモリ』

 

番組を見ていると、ふっとタモリ(らしきもの)がキャラクターを媒介して登場することがあるように思える。

それがタモリの言葉なのか、キャラクターの言葉なのか、断言できるわけではないが、これはキャラクターとしての発言ではないな、という場面が確かにいくつか感じられるのだ。

その「なりすまし」の中からのぞかせる「本当」が垣間見える瞬間が、実に面白い。

 

 

(ライター・倉住亮多

(アイキャッチ・フジテレビ『ヨルタモリ』公式ページ)

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