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なぜ恋愛は難しいか?映画『海を感じる時』を読み解きながら考えてみた

03/10/2014

 

※本記事は、映画『海を感じる時』の内容についての言及を含みます。まだご覧になっていないという方はご注意ください

 

 

 

市川由衣が激しい濡れ場を演じたと話題になった映画『海を感じる時』(安藤尋監督)。
ドラマ『H2』(2005年 TBS系)より前から市川由衣が好きだった僕としては本作は見逃せない!と、張りきって観に行ってきた。

 

なるほど、彼女の美しさは間違いなく本作の一番の見どころだ。僕は本作で市川由衣のことが5倍くらい好きになった。

 

しかし・・・本作はそれだけでは語りきれない!
色んな観方があるのだろうが、僕は、とにかく若く重たい恋愛の物語として本作を観た。
今回の記事では、それを観て感じた「恋愛の難しさ」について、マジメに、とことん掘り下げてみたい。

 

映画のレビューにはほとんどなっていないので、あしからず…。

 

 

 

あらすじ

 

1970年代後半、海沿いの町。洋(池松壮亮)と恵美子(市川由衣)は、高校の新聞部の先輩と後輩だった。ある日の二人きりの部室で、洋は恵美子に唐突にキスを迫る。「決して君が好きな訳じゃない。ただ、キスがしてみたい」――。そのすぐ後に恵美子が「前から好きでした」と打ち明けると、洋は「(キスは)君じゃなくてもよかった」と、にべもなく拒む。「少しでもあたしを必要としてくれるなら、身体だけでもいい」と、それでも恵美子は洋を求めるようになった。洋は「(僕もキミも)ダメになっちまう」とやはり拒みながらも、「あんたを大切にしてやれない。手が出ちゃうんだ」と結局、恵美子に肉欲をぶつける。

 

洋が高校を卒業して上京した後も、その関係は続く。そんななかで洋は、次第に恵美子に対してこれまでとは違う感情を抱くようになる。それは彼にとって「好き」という感情だったようだ。洋に同棲を持ちかけられ、恵美子はそれを喜びながら、他方で自身の感情の変化にも気付いてゆく。

 

そんなとき、恵美子が一人で酒を飲み酩酊し、道端でふらついていると、そこに見知らぬ男性があらわれる・・・。

 

 

 

原作は作家の中沢けいが18歳の時(1978年)に執筆。
昭和の文豪・吉行淳之介をして「文学上の事件」と言わしめた小説だ。
本作はこの小説の、洋が上京した後の二人の関係に物語をさらに加えている。

 

 

この映画、とにかくラブシーンが多い。
恵美子の現状を知って「それでは売春婦じゃないか」と怒った母親の暴力的な狂乱っぷりも含めて、生々しく、痛々しい雰囲気が作品全体をつつむ。

そこには同時に、観ている者が10代の恋を思い出さずにはいられないような、盲目的な若さや純粋さも描かれている。

 

付き合いたてのカップルが観に行くにオススメできる映画ではない。
同性の友人と一緒に観に行くのが良い。
そうすればきっと、帰り道にカフェで恋愛観やセックス観を語ることになる。

 

 

女性目線の本作を、男性目線で観ると

 

というのも、本作は、初々しい若者の恋愛観の性別による違いを非常に明快に描いていると思えるからだ。
身体が満たされたくて女性(としての恵美子)を受け入れる洋と、心が満たされたくて身体を差し出す恵美子、というように。

 

 

もちろん、これには1970年代という時代背景が大いに存在感を持っているし、性別による恋愛観の違いがこれほど単純に要約されるわけでは決してない。
だから恋愛観をこのように一般化できるものではないということは厳格に前提しておこう。
それでも、「この二人それぞれの思いに共感する人は少なからずいる」と思わせる説得力はある。

 

 

本作の主人公は恵美子であり、洋の葛藤は中心的な主題としては描かれない。
ただ、本作を観ていて、僕は「洋の気持ちもわからないではない」と率直に思った。
特に10代ならば尚更、多くの男子は女性の身体に素直な関心を持っているはずだし、求められれば断れない、という人は少なくないだろう。

実際に洋は
「僕はダメになってしまう(好きではないのに手をだしてしまう)からもう来ないでくれ」
と何度も恵美子に告げている。

彼は女性の身体への関心を好きではない人に向けることが、「ダメ」な人間になることだと認識していた。

 

 

本作が問うていること

 

そうした男女の感覚の違いに僕はどことなく共感していたのだが、しかし本作が問いかけるのは、男女の違いにかかわらず、「身体と心を一致して同じ相手に寄せることが可能か」ということだ。

 

 

本作の終盤、恵美子は別の男性とセックスをし、そのことを洋に打ち明けた。
すると洋はそれに強烈に嫉妬する。
恵美子は、身体ばかりを求めた相手の男性が憎いか、私が憎いか、それなら過去のあなた自身も憎いのか、と問う。

 

結局、洋はその問いに応じず、ほとんど自棄になって恵美子を強引に犯した。
「前と同じじゃない」という恵美子の言葉をよそに、洋は去ってしまう。
「高野(洋)さん、私はあなたのことが前から好きでした」。
部屋に残された恵美子は、犯されたままの格好で、静かにそうつぶやいた。
それは初めてキスをした後に恵美子が洋に言ったのと同じ言葉だった。
恵美子にとっては、洋から好かれている実感は最後まで無かったのかもしれない。

 

 

「恋愛」を分解して考える

 

改めて考えてみよう。
身体と心を一致して同じ相手に寄せることが可能だろうか。
ここでいう「身体」とは肉欲の対象としての身体であり、「心」は、(肉欲を除く)恋愛感情だ。

ところで「恋愛」という言葉は「恋」と「愛」がくっついているが、それぞれ意味はこうだ。

 

恋:

特定の異性に深い愛情を抱き、その存在が身近に感じられるときは、他の全てを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局などを恐れて不安と焦燥にかられる心的状態

 

愛:

個人の立場や利害にとらわれず、広く身の回りのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情

 

(『新明解国語辞典 第六版』より)

 

新明解、さすがの名文!という感じだ。
思うに、「恋」には「求める」、「愛」には「受け入れる」、という語意や語感があるようだ。
仮に「恋愛」がその掛け合わせだと考えてみよう。

 

すると自分の恋は相手の愛に、自分の愛は相手の恋に対応する。
ある時は相手に何かを求めてわがままを言ったり(=恋)、またある時は相手のわがままを受け入れて我慢をしたり(=愛)。
そういう恋と愛の間の往復運動を、相互に対応させていくこと。これが恋愛だ。
仮に相手の求め(=恋)に自分の受け入れ(=愛)が対応しきれず、ズレが生まれれば、そこからさらにわがままや我慢が生じて、不満がたまることもある。
・・・というように恋愛の仕組みを捉えると、これはこれで納得できるのではないだろうか。
改めて恋愛とはかなり面倒な関係に見えるのだが、そういう面倒さを認めてなお一緒にいたいというのが「好き」という感情であるはずだ。
(これってもしかして単に僕が自分の恋愛観を語っているだけかもしれないが…)

 

 

ただ、もちろん恋愛の土台はあくまで「身体」ではなく「心」の方にある。本作を観る限り、重要なことは、自分の心は相手の心、自分の身体は相手の身体によってこそ満たすことができる、ということだろう。(もちろん、実際には心と身体はそれぞれ影響を与え合うのだろうが。)

 

 

恋愛の難しさ

 

 

ところが、当初の恵美子は洋の心を求めて身体を差し出していた。
差し出された身体に対応するのは、当然洋の身体であり、そこに心が不在であることは自明だった。
恵美子は身体が心を代替しうると考えていたのかもしれない。

 

他方、洋は後になって恵美子を恋するようになる。

ところが洋には、恵美子を受け入れる態度(=「愛」)がなかった。
彼は「恵美子の乳首が黒くなった」ことを自分の姉に相談し、「恵美子が他の男に抱かれているんじゃないか」と疑念を抱いていた。姉に自身の身体のことを明かされた恥と、自分に向けられた疑念は、次第に美恵子の気持ちを洋から引き離してゆく。

 

その後に恵美子が他の男性とセックスしたのは、身体だけを満たす相手が洋である必然性が無くなったことの表明だった。恵美子はそれを表明してもなお洋が自分に心を向けてくれるかどうか、知りたかったのかもしれない。

 

 

 

こうして本作を読み解いてみると、改めて恋愛は難しいものだと実感させられる。
実際に恋愛によって満たされているのが心なのか、身体だけなのか、ということは、しばしば分かりにくい。
そしてなにより、いかにすれば相手に、好きだという気持ちを伝える事ができるのか。
自分が伝えたと思うことは、相手が受け取ったと思うこととは別だから、尚更むずかしい。

 

 

もちろん、そんなことに簡単な答えがあるはずはないのだが、
おそらく、それがどうすれば伝わるかと模索し続けることが、気持ちを伝える方法のひとつではあるのだろう…難しい…。

 

 

結論:
あれこれ考えすぎずに恋愛できる相手を探せ

 

 

 

なお、本記事では「身体」と「心」を分けて考えた。
しかしそれらが必ずしも分けられるものではないという前提に立てば、恋愛をめぐる議論はまだまだ奥が深くなる。
また機会と気力があれば、そんなことも書いてみたい。

 

映画はシアトル新宿など全国23カ所の映画館で公開中・公開予定だ。
劇場情報について詳しくは『海を感じる時』ホームページまで。

 

 

 

(ライター:マチドリ)
アイキャッチ画像含め、画像はすべて『海を感じる時』公式fecebookページより

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