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クラシック×映画 〜番外編:オーケストラの人間模様を考える〜

13/12/2014


前回、オーケストラや室内楽の人間模様を描いた映画をご紹介しました。

今週は演奏家・作曲家を題材にした映画をご紹介する予定だったのですが、

オーケストラ人間模様編の映画を見たり、

作曲家を題材とした映画を見たりしていたら、

オーケストラの人間臭さについて改めて考えてしまいました。

 

そして思いついたのが以下のような仮説です。

 

仮説:アマチュアオーケストラこそ、この世で一番人間臭い集団である。

 

今回は、以下のような仮説に基づき、

気づけば約10年、趣味で続けてきたオーケストラについて、

語らせていただきたいと思います。

 

仮説を立てて文章を書いたら、文体がだ・である調になってしまいました。

 

 

 

はじめに 〜音楽は厄介だ〜

 

 

断言しよう。音楽は厄介だ。

なぜなら、すべて人の主観に左右されるから。

芸術全般に言えることではあるが、これは奏者にとって大きな悩みの種になる。

どうしてあの人は良くて、私はダメなのか?

「いい音」とはどういう音なのか?

 

数学であれば、ここでミスしたから答えが合わなかったということがわかるのだが、

音楽はここで間違えたから良い音が鳴らなかったということがすぐにはわからない。

(もしかしたら永遠に分からないことだってあるかもしれない)

弦楽器の右手の筋肉が動く様子、管楽器の息の様子が可視化できたらどんなに分かりやすいことか…

 

上手い音は聴けばなんとなくわかるし、

(わかるというか、「きれいな音だなー」と思うし、聴き比べると違いがある)

上手い人って大抵涼しい顔して楽に弾いてるように見えるし、

こういう音出したいなーと思うことはあるのに、

自分は一向にできない……

 

「わかることとできることは違う」

そういったもやもやを抱えながら、

それでも向き合って考えて表現するのが音楽なんじゃないか…と個人的には思っている。

そんな音楽の中でも、クラシック音楽、殊にオーケストラは特殊だ。

 

まず、人間が100人ほどいる。

その100人が何十分間も一つの音の流れを作り出すのに全神経を集中する。

会社?いや,もはや宗教?

(この記事のためになるべく遠目に考えてみたら、超異常集団じゃないかと思い始めた…)

かつて帝王と呼ばれた指揮者カラヤンは次のような言葉を残したと言われている。

 

 

先週紹介した映画『オーケストラ!』でも、

主人公がオーケストラはコミュニズムだと囁く場面があった。

ただでさえ、たくさんの人間を同じ方向に進めるというのは並大抵のことではない。

さらに、オーケストラでは不思議な現象がある。

一人だけ上手い人がいて統率しようとしても、決して上手くいかないのだ。

全員の技術力が高いからといって必ずしも名演が生まれるわけでもない。

奏者個人の能力だけでなく、奏者同士の関係が音楽に表れるからだ。

 

オーケストラは、何十人もの人間が寄り集まって音楽を奏でる。

強いて言うなら、名演が生まれるのは、その何十人の息が合った時だろう。

だから、アマチュアオーケストラがプロオーケストラを超える演奏をする可能性があるのだ。

 

今回語る“オーケストラ”は、あくまで趣味でやってきたアマチュアが考えるオーケストラ観ということは忘れずに読んでもらいたい。

 

 

 

楽器は奏者を写す鏡

 

 

私事になるが、約10年オーケストラを続けて、後半の4年間に言われ続けたことがある。

「音が小さい」

音程は合っているのにもったいないとか、

自信なさそうに見えるからやめろとか色々言われてきた。

あまりに悩み過ぎて、

楽器が安いせいだと思っていた(思い込ませようとしていた)時期もあった。

しかし、どうしてもできなかった。

 

プロの先生にレッスンしてもらうという機会をいただいたとき、

思い切って相談したことがある。

「みんなに音が小さいって言われるから、音を大きくしたいんです。

どうしたらよいでしょうか…?」

 

「不思議なんだけど、楽器の音って、演奏する人の声に似てるんだよ」

 

思い返せば、声の大きいあいつは音もでかい。

ちょっと神経質なあの子は少し線の細い音かもしれない。

「シムラさんはさ、声大きい方じゃないでしょ?」

そう言って先生が笑った。

細かい発言は記憶があやふやなのだが、

人に言われるからってそんなに気にしなくていいよ、

そのままでいいじゃないという主旨のことを言われて

じーんときてしまった記憶がある。

(先生っ……!)←単純

無理矢理大きい音を出そうとしても、出ないよと言われたような気がした。

私の弱気な性格が音に出ていたのかもしれない。

人に言われたからといって、

それに気を取られて本来の目的(ここでは音楽の流れや表現ということだと解釈した)を間違えちゃいけない。

人生も同じような気がして、なんだか納得させられてしまった。

 

さらに言えば、楽器の種類にも、性格は表れる気がする。

楽器がその人の性格を作るのか、そういう性格の人がその楽器を選ぶのか、

因果関係は分からないが、体感的に楽器と性格には相関があるように思う。

どこのオーケストラでも金管楽器は酒飲みの豪傑が多い気がするし、

弦楽器は低音楽器になるほど変態が多い気がするのだ。

 

楽器の種類も楽器の音も、それを演奏する人の人柄が出てくる。

つまり、「楽器は奏者を写す鏡」

そう思うと、オーケストラでの評価が自分の全てを表しているような気になってしまう。やっぱり厄介だ。

 

 

 

オーケストラは人間の多面性を映し出す〜偉いのは誰?〜

 

 

前項では、奏者と楽器の関係について触れたが、

この項では奏者同士の関係について考えてみたいと思う。

オーケストラ、特にアマチュアの集団には、一般的な集団と同様で、

人との関係にいくつかの軸が存在する。

 

まず思いつくのは、当然、「楽器の能力」だろう。

上手ければ賞賛されるし、

下手であれば先輩からもっと練習しろと指導が入る。

プロの世界であれば、「楽器の能力」が全てだ!以上!

と割り切ることができそうなのだが、

(プロはプロで色々ある気もするけれど、プロの世界を知らないので割愛)

そこで終われないのがアマチュアオーケストラだ。

アマチュアはプロとは違って、演奏が全てではない。

練習日程の調整や練習会場や本番のホール予約、宣伝など、

演奏会のための運営もしなくてはならない。

そこで重要になってくるのが、「人柄」だ。

集団の中でやっていくには、重要な要素だということはお分かりいただけると思うが、

ここで問題なのが、楽器の上手さと人柄が必ずしも比例の関係にないことだ。

分かりやすいように極端な例を考えてみよう。

楽器は上手いけど自分のことしか考えられない自己中心的な人がいたとする。

(念のために言うと、ここまでひどい人には出会ったことがない)

奏法や音楽的解釈に関してはその人に従うのが妥当かもしれないが、

その人をその楽器のリーダーとして、

オーケストラを運営していくことはできるだろうか…?

アマチュアレベルであれば、

練習しなくても上手く弾けてしまうという人や

本番で弾ければなんでもいいという態度の人も少なからずいる。

演奏中のリーダーが平常時のリーダーにも向いているとは限らないのだ。

 

最後に、学生オーケストラに特有なのが「学年」だ。

社会人やプロとは異なり、

サークルや部活は、やはり年次が上の人が先輩である。

しかし、そのオーケストラに所属している年数と楽器の経験年数は関係がない。

先輩よりも後輩が上手いということが充分にあり得る。

上手い後輩を前にした先輩の苦悩。

先輩というだけで曲を貰えることもある現実を前にした後輩の苦悩。

これに関しては、スポーツでも同じことが言えそうだ。

 

 

アマチュアオーケストラは会社に似ていると思う。

「楽器の能力」を「仕事を処理する能力」と考えれば、

人柄や年次が関係してくる部分はそのままだ。

ただ、会社と違うのは「仕事を処理する能力」にあたる「楽器の能力」に対する評価に

明確な基準がないところだ。

最初にも書いたように、楽器の上手さに関する判断は人の主観でしかなく、

数値として分かりやすく測ることもできない。

誰かが思う「いい音!」は他の誰かには違う音なのだ。

そこが、オーケストラを人間臭くしている一番の要因だと思う。

 

 

 

アマチュアにあってプロにないもの プロにあってアマチュアにないもの

 

 

オーケストラを描いた漫画原作のドラマ「のだめカンタービレ」で、

ピアニストである主人公ののだめが叫ぶシーンがある。

 

「自由に楽しくピアノ弾いて何が悪いんですか!」

ードラマ『のだめカンタービレ』第10話より

 

コンクールの評価、周囲の期待に押しつぶされそうになったのだめの叫びだ。

プロのオーケストラ奏者達もこんなことを思うことがあるのだろうか…?

プロの人たちは、演奏でご飯を食べていくと考えれば、

オーケストラへの参加は優先順位の最上位に近くなるだろう。

だが、アマチュアオーケストラは違う。

あくまで趣味。

つまり、のだめの言葉を借りるなら、自由に楽しく楽器が弾ける。

なんて素敵な世界!

…ということには残念ながらならない。

みんなの力を持ち寄って音楽を作り上げるという性質上、

合奏練習に参加できる頻度や自分がどれくらいの力を割いて練習できるかが、

オーケストラに所属する上で大きなポイントになってくる。

趣味ゆえに、熱意の差は時に対立の原因になり得るのだ。

(おそらく、そういう対立がプロオーケストラの中で起こるということはないんじゃないかと思う…)

 

オーケストラの価値観と自分の価値観を比べること、平たく言えば、

「そのオーケストラがどれぐらいガチなのか」

を知っておくことは重要だ。

学生であれば、勉強とバイトとオーケストラと友達との遊ぶ約束。

それらの優先順位は人によって違ってくるだろう。

しかし、人数の多いオーケストラという集団でやっていくためには、

それぞれがオーケストラに対する優先順位を少しだけ上げていかなければ、合わせていくことは難しい。

そのような努力がどの程度求められるかを知らないで入団してしまうと、

自分の中の優先順位という、

本来なら尊重されても良い事柄に関して批判し合うことになり、

お互いにとって気持ちの良くない事態が起こってしまう可能性がある。

 

さらに言えば、オーケストラのための練習にも個人差が出る。

自分のパートを演奏できるようにするために、

1時間で終わる人もいれば、10時間かかってしまう人もいる。

それほどの幅があるのだ。

そうすると、自分は毎日練習しても貰えなかった乗り番を

熱心に練習することなく遊んでいたあの人が涼しい顔で弾いている

ということだってあるのだ。

そうなると、自分の方が下手だから仕方ないと頭では理解しても、

気持ちの整理がつかなかったりするわけだ。

 

 

 

おわりに

 

 

いかがでしたでしょうか。

書いているうちに、これって大抵の音楽サークルに当てはまるんじゃ…?

と思い始めました。

 

人が集まると、起こることは大して変わらないんですね…(ざっくり)

 

人間臭さを考えたら、苦悩や難しさばかりを書くことになってしまいましたが、

こうした要素を乗り越えた先にある、

みんなの息が合った瞬間や、積み重ねた練習を大勢の人の前で披露する時の

達成感や嬉しさは格別です。

もはや、中毒性すらある気がします。

 

来週こそ、作曲家・演奏家編の映画紹介をお送りする予定です。

 

(ライター:シムラ アイキャッチ:pixaboy

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