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コピーライター化するレイシズム

20/10/2014

 

日本で最も有名なレイシズム団体と言えば、「在日特権を許さない市民の会」、通称「在特会」だろう。

 

僕は個人的にその界隈をウォッチしているのだが(これを一部では「ヲチャ」と呼ぶ)、彼らの言説には、ある特徴が存在することに気づいた。

 

それは、繰り返し用いられる「造語」や「新語」の多さである。

 

 

在特会が生み出した「造語」たち

 

その典型的な例が、団体名にもなっている「在日特権」だろう。これは「在日」と「特権」を組み合わせた造語で、未だ辞書などには掲載されていない。

 

在特会が登場する以前から、インターネット上で主に韓国や中国などを対象にして排外主義的言説を煽り立てる人びとを総称した「ネット右翼」または「ネトウヨ」という造語があった。これらは少なからず侮蔑的な意味をこめて語られるが、その意趣返しとして在特会界隈では、ブサイクな左翼を略した「ブサヨ」という造語を多用している。

 

また、彼らにとっては「嘘ばかり」と批判されるマスコミは「ゴミのような存在」として「マスゴミ」と呼ばれ、そのなかで最も敵視されている朝日新聞は革命主張を象徴するカラーである赤色をかけて「アカヒ」と呼ばれている。

 

更に造語ではないものの、熟語の接頭語として「反日」や「売国」などもよく用いられる。例えば反日マスゴミ、売国新聞アカヒ、などと言った具合だ。

 

 

名詞化の効果

 

これらの造語はスローガンのように団体を統率する効果もあるが、なにかの事象を「名詞化」することには、更に複雑な効果があると僕は考える。

その効果は、大きく「既成事実化」「平板化」「伝播性」に分けられる。以下に解説していこう。

 

既成事実化

 

名詞は、それが指す物事があたかも実在するかのように思わせる力がある。なぜなら、名詞は物事に対する評価ではなく、その物事の有無を表すからだ。これは、在日特権という言葉を例にとると分かりやすいだろう。この言葉が登場した直後は、在日特権が実際に存在するか否かについて議論があったものの、いまでは在日特権が「ある」という前提での議論が広く行き渡った。

 

平板化

 

名詞を用いるとき、当然その名詞が指す物事についての「共通理解」が前提となる。つまり、その物事について長々と説明する必要がなくなる。例えば、「りんご」という言葉があれば、「色が赤く、丸い形をした果物」とわざわざ説明する必要はない。つまり名詞はある共通理解のうえで用いられるため、そのなかのグラデーションや差異は無化されてしまう。例えば「ネット右翼」という新語の定義は、知恵蔵2014によると「2ちゃんねるなどの掲示板やブログなど、ネット上で、右翼的な言動を展開する人々のこと」とされていたが、ネット右翼という言葉が人口に膾炙した当時インターネット上で拡散された画像(本記事のアイキャッチを参照)により、「オタクで童貞」というイメージが定着し、もはや語の定義の一部かのようになってしまった。つまり、「インターネット上で右翼的な発言をするオタクで童貞ではない人」という存在がいるにも関わらず、「ネット右翼」という言葉によって一括りにされていたのである。

 

伝播性

 

既成事実化され平板化された名詞は、「レッテル貼り」に大変都合が良い。名詞の場合、その存在の有無を証明する必要がなく、詳しい説明も不要で用いられるからだ。特に、140文字という文字制限があるTwitterにおいて、説明不要の名詞で相手をレッテル貼りする行為は非常に使い勝手が良い。例えば、「またマスゴミか」というような言説は非常によく見られる。つまり、物事を名詞にすることにより、その名詞を含む言説の再生産コストが劇的に下がるため、伝播されやすくなるのだ。

 

 

まるでコピーライターのように造語や新語を連発する在特会は、「名詞化」がもたらす効果に敏感だったと言える。在特会が従来の排外主義団体よりも訴求力があったのは、少なからず「名詞化」というストラテジーが有効だったからではないだろうか。

 

 

レイシズム団体とカウンター団体の奇妙な一致

 

語彙は、「我々」と「彼ら」を分ける共通の「コード」として機能する。例えば、あるコミュニティでしか通用しない「ユーモア」や「スラング」を考えると分かりやすいだろう。それらはあるコミュニティをひとつのトライブとして見做すための手がかりとなる。

しかし奇妙なのは、在特会に反対する、いわゆる「カウンター団体」側も、彼らの語彙や差別表現を引き受けて語ってしまっている現状である。象徴的なのは、カウンター団体として活動する「在日特権を守る市民の会」、通称「在守会」という団体だ。他にも、元「レイシストをしばき隊」の代表である野間易通氏が「キチガイ」など社会通念的に差別とされているワードを使う例も見られる。もっとも、彼の差別の定義は国籍など自分の力ではどうすることもできない要素に基づいた侮辱なのかもしれないが。

 

また、カウンター団体からも「ネトウヨ」はもちろん、「ヘサヨ」や「はてサ」という造語が揶揄表現としてよく使用されている。はてなキーワードによると、「ヘサヨ」とは、「2011年の8月に生まれた造語で「”ヘイトスピーチに反対する会”的な左翼」という意味」とされ、「はてサ」は、「はてなダイアリー・はてなブックマークなど、はてなのサービスを使っているサヨク。(中略) はてなサヨクと呼ばれる者の特徴は一貫性の無さである」などと記述されている。これらは、彼らカウンター団体の「リベラル観」とは相容れない左翼言説をまとめて揶揄するために使われる表現である。つまり、彼らの言説における言語仕様のストラテジーとしては、両者は正反対の主張をする団体であるにもかかわらず、奇妙なほどそっくりなのだ。

 

しかし、「既成事実化、平板化、伝播性」という名詞化の効果3点から導き出される結論は、健全な議論の放棄ではないだろうか。造語を多用し、レッテル貼りの応酬や事実の有無レベルで行われる言論闘争は、ある事象のうちに存在する多様性や思想の濃淡に思い至らない粗雑なものとなる。それは、ただ無用に両者を刺激し、主張を過激化させるだけだ。

 

 

おわりに

 

この記事から読み取れる主張は、おそらくカウンター団体から見たらまさしく「ヘサヨ」「はてサ」的な態度と捉えられるだろう。もちろん、そのような含意は大いにある。しかし、ここでの議論はあくまでイデオロギー的なものではなく、客観的な言語使用のレベルで考えた結果であることは付記しておく。ヘイトもカウンターも「どっちもどっち」という主張は、少なくとも言語使用のレベルでは妥当と言えるはずだ。それに、カウンター団体も「レイシストと議論する必要はない」という主張を一貫している以上、「カウンター団体もレッテル貼りしている」という批判は彼らにとって無意味なのだろう。

 

もちろん、カウンター団体の「目の前で不正義が行われていたらまず手を差し伸べる」という主張については手放しで賛同するが、長い目でみたときに彼らの方法論が「レイシズムを根絶する」という目標を実現するための戦略として妥当なのかは、疑問であると言わざるを得ない。

 

(ライター:カガワ)

 

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