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外国人が撮った日本の写真や動画はなぜ新鮮なのだろう?

24/09/2014

 

湯浅です。一眼を持ち歩いてバシバシ日常を撮ってみたいですが、たぶん重たさで嫌になるんじゃないでしょうか。やれやれ…

 

ところで、まずはこちらを御覧ください。

Adam Magyar, Stainless – Shinjuku (excerpt) from Adam Magyar on Vimeo.

新宿駅をハイスピード撮影した動画が、人間模様を映し出していてすごい(The Huffington Post)

ちょっと前のものですが、新宿駅ホームいる人々をハイスピード撮影している動画です。

東京の日常としてお馴染みの光景。関東圏在住の人の多くが毎日見ているのではないでしょうか?
飽きるとかそういうレベルではなく、当たり前の日常なので、感情のあるなしという次元でもないでしょう。
しかし、ハイスピード撮影という撮影技法を取り入れることによって、無関心な日常が新鮮なもの、芸術的なものになっています。

 

これ以外にもこの映像と同じようなことを感じる瞬間があります。

それはFacebookにあがってくる海外の友人が撮る日本の写真です。

海外の友人、特に海外在住で日本に旅行に来た友人の撮る写真。

僕がいつも見ている景色やそこにあるモノを撮影しているのですが、同じように芸術や新鮮さを感じます。

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これを私たちが撮影しても、同じようにはならないんですよね。
(同じようにならないと感じてしまっています。それは、お前が相手が外国人であるというバイアスをかけているからだ!と言われてしまえば、それまでなのですが…)

 

 

逆も言えるのではないでしょうか。

私たちが海外に行って撮る写真は、現地で暮らしている人にとっては日常です。

しかし、訪問者である我々からするとそれは非日常であって、目新しいモノばかりなのです。

だから、私たちが海外で撮ってきた写真は、またある種の趣を持つのではないでしょうか。

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この3枚の写真は僕が以前ポルトガルを訪ねた時に撮った写真です。
ここに住んでいる人からすると、路面電車も石畳の路地も赤い屋根の景色もいつも見慣れているものでしょう。
でも僕は訪問者=外国人として、この街の景色にポルトガルの芸術性や自分の日常にはない日常を感じたので、シャッターをきってしまうのです。
訪問者=外国人の視点は、私たちの日常をある意味で再定義してしまう。
だから、僕らは訪問者=外国人の写真を見ると、なぜか新鮮さを感じてしまうのかもしれません。

 

同じような感覚として、海外のスーパーのスーパーにいくと、多くのものが目新しく見えるということもひとつの例かと思えます。

 

これまで見慣れてきた・日常として捉えていた東京というものを改めてフレッシュに見直す機会にしていきたいと思います。

 

 

日本写真:Jeff Stivers(筆者友人)

アイキャッチ画像:Tumblr(The Sharp Gentleman)

ライター:ユアサ

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